夜分遅くにごめんなさい!1日の練習報告です。
1日はゲネプロでした。はやくもミニコン前最後の練習。
課題は各自あるでしょうが、今回はおらしょ3の歌詞解釈について、
ライ君の発見をメモ代わりに報告。
おらしょ3の中盤、「マエロヤナ」で始まる節。
この曲のなかで、もしくは曲集のなかで、ここがどのような役割を果たすのか。
直前の「獅子の泣き唄 仏の前でね ひとつ歌えば供養になる」から考えると、
マエロヤナの部分はレクイエムに当たる。
「仏の前で」の「仏」は亡くなった人、もしくは祖先を差し、その人たちへのレクイエムととれば
マエロヤナの部分を曲全体のなかでとらえることができ、どう歌うかも考えやすいのではないか。
といった趣旨と解釈してますが、ライ君どうだろう。過不足あれば修正願う。
それから、蛇足ながら俺の私見も書かせてください。
この曲集の背景には、「隠れキリシタンが味わった迫害の苦しみ」があると思う。
おらしょ3のマエロヤナ部にも、
「今ワナ 涙ノ谷ナルヤナア 先ワナ 助カル道デ アルゾヤナァ」
(現世はつらく悲しいものだが、信仰により来世には救いの道があるのだ)
という一節があり、隠れキリシタンとして生きる現世での苦しみと、来世での救いを求める気持ちが歌われている。
そう考えると、マエロヤナ部についてる音楽のテンションの高さ、力強さは、救いを求める気持ちがいかに切なる物であるかを表していると解釈出来るのではないか。
ところで、「現世での苦しみ」「来世での救い」「救いの条件としての信仰」の3点セットは、
別の宗教、時代でもちょくちょく見かけられる。
たとえば、隠れキリシタンの時代の日本でポピュラーだった浄土真宗(当時といえば本願寺が無双してて、調子にのりすぎて信長にボコボコにされたもうちょい後ですよね)も、
信仰をこめた読経により御仏の力にすがり浄土への救いを求めるもの(だったと思う)し、
アメリカ大陸の黒人奴隷が歌った黒人霊歌にも、似たような内容のものがある。(soon ah will be doneとか)
「おらしょ」の根っこにある「苦しみ、信仰、救い」への思いが、普遍的とまでは言わないけど、
別の時代、国にも存在したことにも思いを馳せれば、おらしょの向こう側にちがった時空間が見えるんじゃないかと思う。
以上、私見のほうが長くなってしまった。ごめんなさい。
うpありがとうございます。
しかも追記が素晴らしいですね。重ね重ね多謝多謝。
僕なりに書かせてもらうと、
獅子の泣き歌
= あーあぁ まえーろーやーなぁぁ
= レクイエム(一つ歌えば供養になる)
ということです。
子守唄であるオロロンが導入部に来るのも、
鎮魂歌と子守唄を類似したものとして捉えると、
ほとけへ向けた歌として合点がゆきます。
適切かどうかはわからないですが、
1番が文化の歌(西洋と東洋の音楽、宗教の融合)
2番が信仰の歌
3番が鎮魂歌
とすると納得できました。
ピッコロが信仰が深いほど救われると言っていたと思いますが、
それを2番で示すべきなんだと思います。
明後日頑張りましょう。